『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』

 

『動物に魂はあるのか 生命を見つめる哲学』

 

著者紹介(本書より)

 

金森修(かなもり・おさむ)

 

1954(昭和29)年、札幌市に生まれる。86年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。博士(哲学・パリ第一大学)。筑波大学講師、東京水産大学助教授などを経て、現在、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻、フランス哲学、科学思想誌、生命倫理学。 著書『バシュラール』(講談社1996)、『サイエンス・ウォーズ』(東京大学出版会2000)、『科学的思考の考古学』(人文書院2004)、『〈生政治〉の哲学』(ミネルヴァ書房2010)他。 編著『エピステモロジーの現在』(慶應義塾大学出版会、2008)、『科学思想史』(勁草書房2010)、『昭和前期の科学思想史』(勁草書房2011)他。

 

要約

【動物霊魂論とは】

17世紀前半~18世紀半ば過ぎまでの時代にかけて主にフランスで議論された動物霊魂論が本書の主題である。

・動物に何らかの霊魂があることはギリシア・ローマ時代から西洋文化のなかで当然の前提とされていた。

アリストテレスによれば、生物の霊魂は三つに分類される。

(1)栄養的霊魂:植物がもつもの。栄養、滋養能力を司る。

(2)感覚的霊魂:動物がもつもの。感覚を司る。

(3)思考的霊魂:人間がもつもの。理性、合理性、高度な思惟に関係する。

モンテーニュは人間の卓越性と独自性を否定し、動物礼讃論をとなえた。

 

 

デカルト派の動物機械論】

 

デカルトによれば、動物は理性を欠いたただの機械である。

デカルトの目標は人間の卓越性と独自性を死守することであり、動物機械論はその議論の補強として派生した。

・フランス合理主義の哲学者マルブランシュは単純化、過激化したデカルト派であり、動物に知性や情念、感覚を一切認めなかった。

・動物機械論は普通人の日常的直観からは乖離しており、影響を受けたのは脱感情的な知識人だった。

18世紀前半には、人間と動物との差は程度の違いに過ぎない、という微温的な議論が優勢を占めるようになった。

・動物機械論によって活性化した動物霊魂論は、前者が説得力を失う過程で議論が作られる空間自体が衰退した。

 

 

【現代の動物の哲学】

 

ハイデッガーは動物が衝動に〈とらわれ〉た在り方をしていることを指して世界貧乏的(weltarm)であるとした。

デリダ以降のフランス哲学者バンブネは人間のみが〈とらわれ〉から身を引き離し、より一般的で複数的な視座を構成できるとした。

・イタリアの哲学者アガンベンはある人間を人間としてみる/みないという承認/排除連関の成り立ちを人類学的機械と呼んだ。

・動物解放論者シンガーは畜産と動物実験を例に、人間だけを保護や配慮の対象とする考え方を種差別主義と非難した。

 

 

【現代の動物霊魂論のために】

 

・現代は、バイオテクノロジーや生殖補助医療技術の展開による現代化された動物機械論の時代である。

現代の動物霊魂論者は、生命へのアプローチは科学だけには汲み尽くされないという普通の直観を大切にする。

 

 

レビュー

 

本書は、哲学者の「動物に魂はあるのか」という問いが、動物とは何か、その裏返しとして人間とは何かという問いであったことを、思想史のなかで丁寧に辿っていく。前著『ゴーレムの生命論』は、ゴーレムという非実在の「人間未満の人間」を通じて人間について考える、というものであった。〈人間圏〉という中心とその〈周辺〉という問題設定は、前著と一貫している。

 

筆者が自然科学の重要性を強調しつつも、それとはまた別の仕方での動物論を試みる背景には、ポストモダニストたちによる科学用語の濫用を批判した「ソーカル事件」がある。筆者は『サイエンス・ウォーズ』で、ソーカルらの振る舞いを、科学的知識の普遍性によるマルチカルチュラリズムやポストコロニアリズムといった〈周辺〉へのバックラッシュと位置付ける。この論争を、本書と重ねて考えることもできるだろう。

 

〈人間圏〉の周辺について、日本ではまた別の形で思想史が展開されてきた。例えば、梅原猛東浩紀との対談(『日本2.0 思想地図β vol.3』所収)で、デカルト以降の人間中心主義が原発を生んだとし、人間以外の動物、植物、石や土までもが仏性を持つという「草木国土悉皆成仏」という日本思想の見直しを説いている。対談相手の東はかつて「想像界と動物的回路」(『文学環境論集 東浩紀コレクションL』所収)におけるハイデガー批判のなかで「人間中心主義から人種中心主義、民族中心主義まではつねに一歩である」と述べていた。人間と動物の区別は古来から様々なかたちで繰り返されてきたが、「動物」という概念がこれからどのように変遷していくか、思想史的な側面から考えるうえで、本書は大きなヒントになるだろう。

 

要約・レビュー:倉津拓也